東京工業大学博物館

東京工業大学博物館(東京・大岡山)のnoteです。ここでは、展示品の解説や、刊行物など…

東京工業大学博物館

東京工業大学博物館(東京・大岡山)のnoteです。ここでは、展示品の解説や、刊行物などの情報を共有していきます。

マガジン

  • 展示解説

    東京工業大学博物館に展示中の収蔵品の解説を集めました。

  • 東工大の三大発明

    東京工業大学博物館に展示中の資料のうち、「東工大の三大発明」と称される研究に関する解説を集めました。 「東工大の三大発明」と呼ばれている研究成果には、水晶振動子に関する研究、フェライトに関する研究、ビタミンに関する研究があります。

  • 企画展示解説

    東京工業大学博物館の企画展示の解説を集めました。

  • 資史料館 とっておきメモ帳

    先端技術の開発だけではない、東工大の知られざる一面を紹介します。

  • 東工大と機械

    東京工業大学博物館に展示中の資料のうち、機械分野の研究・教育に関する解説を集めました。

記事一覧

ロボット学事始めとロボコン ― 森政弘

森政弘(1927年三重県生まれ)は、1969年に東京大学生産技術研究所から本学制御工学科に教授として着任しました。 東大生産技術研究所時代の1967年に、研究室内で創造性開…

型染絵による美の表現 −芹沢銈介

芹沢銈介(1895-1984)は、静岡市でも屈指の呉服太物卸商「大石商店」の7人兄弟の次男として生まれ、1913(大正2)年に東京高等工業学校図案科に入学して工業デザインの基礎を…

工業図案科の設置と図案教育の重視

手島精一(1850-1918)は、1894(明治27)年に附設工業教員養成所を設置した3年後に同所内に「工業図案科」を新設しました。その意図は、陶磁器や漆器・木工品、織物といった伝…

蔵前キャンパスの整備

隅田川沿いの蔵前キャンパスは、江戸時代には幕府の年貢米を収蔵する米蔵が立ち並ぶ「浅草御蔵」と呼ばれた土地で、1882(明治15)年に上野に移転した「浅草文庫」の跡地が東…

米国で建築学を学んだ初代建築科長 −滋賀重列

滋賀重列(1866-1936)は、1902(明治35)年に設置された建築科の初代科長を務めた人物で、蔵前キャンパスの本館をはじめとする主要建築を設計した、本学最初のプロフェッサー…

東工大は 抗ウイルス薬アラセナの発祥の地

ビタミンB2からウルソへと続く伝統が 更にアラセナへ繋がった 長い間ウイルスに効く薬はできないだろうと考えられていた。この壁を打ち破る画期的な薬(アシクロビル,DNA…

ロボット学事始めとロボコン ― 森政弘

ロボット学事始めとロボコン ― 森政弘

森政弘(1927年三重県生まれ)は、1969年に東京大学生産技術研究所から本学制御工学科に教授として着任しました。

東大生産技術研究所時代の1967年に、研究室内で創造性開発のために「自分が乗って階段をのぼることができる機械」というテーマのアイデアコンテストを企画しました。その時優勝したのは、当時大学院生であった村上公克(まさかつ)君のアイデアです。展示されている6足歩行ロボットは、そのアイデア

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型染絵による美の表現 −芹沢銈介

型染絵による美の表現 −芹沢銈介

芹沢銈介(1895-1984)は、静岡市でも屈指の呉服太物卸商「大石商店」の7人兄弟の次男として生まれ、1913(大正2)年に東京高等工業学校図案科に入学して工業デザインの基礎を学びました。卒業後は、故郷の静岡市に戻って静岡工業試験所の技師として地元静岡の業者や職人に蒔絵・漆器・木工・染色・紙などの図案の指導を行い、その後も大阪府立商品陳列所図案課技師として意匠図案の調査・研究を行い、工業デザイナ

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工業図案科の設置と図案教育の重視

工業図案科の設置と図案教育の重視

手島精一(1850-1918)は、1894(明治27)年に附設工業教員養成所を設置した3年後に同所内に「工業図案科」を新設しました。その意図は、陶磁器や漆器・木工品、織物といった伝統的な工芸品の近代化と販路拡大には、当時急速に発達してきた印刷技術の応用に適した新たな意匠「図案(Design)」の開発と、それを担う人材の育成が必要と考えたためでした。工業図案科の教員には、当時としては数少ない海外にお

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蔵前キャンパスの整備

蔵前キャンパスの整備

隅田川沿いの蔵前キャンパスは、江戸時代には幕府の年貢米を収蔵する米蔵が立ち並ぶ「浅草御蔵」と呼ばれた土地で、1882(明治15)年に上野に移転した「浅草文庫」の跡地が東京職工学校の土地として交付されました。その年の12月には洋風煉瓦造の校舎が、続いて拡張された敷地に各学科の工場が竣工し、実業学校としての教育環境が整いました。1890(明治23)年には第二代校長として手島精一が着任し、校名も東京工業

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米国で建築学を学んだ初代建築科長 −滋賀重列

米国で建築学を学んだ初代建築科長 −滋賀重列

滋賀重列(1866-1936)は、1902(明治35)年に設置された建築科の初代科長を務めた人物で、蔵前キャンパスの本館をはじめとする主要建築を設計した、本学最初のプロフェッサー・アーキテクトです。

 滋賀重列は、徳大寺家の家職を務めた滋賀家に長男として生まれ、幼少時は錦華小学校(現・お茶の水小学校)から府立一中(現・日比谷高校)へと進学し、どちらも一期生として卒業しました(ともに夏目漱石と同級

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東工大は 抗ウイルス薬アラセナの発祥の地

東工大は 抗ウイルス薬アラセナの発祥の地

ビタミンB2からウルソへと続く伝統が 更にアラセナへ繋がった
長い間ウイルスに効く薬はできないだろうと考えられていた。この壁を打ち破る画期的な薬(アシクロビル,DNA合成酵素の阻害剤)が1974年に米国の製薬会社で開発され,1988年にノーベル賞に輝いた。本学のビタミン研でも抗ウイルス薬の開発を可能にする画期的な有機合成反応が開発されていたと知って調べてみた。

抗ヘルペス薬

最近話題のタミフル

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