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絶対零度への挑戦 —木下 正雄 ・ 大石 二郎

絶対零度は-273.15℃

高校の教科書に載っているこの数字の小数点以下2桁目の決定打を放ったのは東工大でした。

本学が大学(旧制)に昇格して間もない頃に新設された物理学教室の木下正雄と大石二郎は、測定の中でも最も難しいとされる温度の精密測定に成功しました。

ドイツ滞在中に、日本の温度測定技術の未熟さを指摘された木下は、1932(昭和7)年に東工大に着任すると、大石を助手として呼び、温度の精密測定に取りかかります。既に世界では2つのグループが精密測定用の気体温度計を作りあげていましたが、当時の測定精度では、小数点以下2桁目の確定は難しいと考えられていました。

こうした状況の中、二人は1935(昭和10)年に複雑なガラス配菅から成る本館1階29号室いっぱいの巨大な気体温度計を組み上げ、当時の安定性±0.003℃をしのぐ、±0.001℃の安定性を実現します。そして、これを用いて絶対零度が273.15と-273.16℃の間にあるという測定結果を得ました。1938年には、より精度の高い等温線法を開発し、この方法でも同じ結論に達します。

1939年、Kelvin目盛による氷点の決定を迫られていた国際度量衡委員会の測温諮問委員会は、273.15±0.02という値を提案しましたが、第二次世界大戦の混乱により、正式な採択には至りませんでした。

1954(昭和29)年、大石の等温線法の利点が理解され、氷点は273.15K、水の三重点は273.16Kとすることに決まりました。この決定までの間、木下と大石も委員会出席を要請されましたが、日本政府の財政難のため、参加は叶いませんでした。このような時代背景から、2人の名前は余り知られていませんが、彼らが得た小数点以下2桁目は、今なお温度の基準値として使われています。

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