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東工大にあったツェッペリン飛行船のギアボックス

解説

本減速機(ギヤボックス)は,第一次大戦の戦時賠償として1920年に日本に引き渡されたLZ75註)ツェッペリン(Zeppelin)飛行船のものではないかと言われています.本学精密工学研究所歯車工学部門に古くから置かれており,研究室のメンバーにはツェッペリンのプロペラ駆動用ギヤボックスと言い伝えられていました.

当該飛行船は1916年11月に初飛行後,偵察,爆撃などの作戦行動を行い,1917年12月に退役しました.終戦(1918年11月11日)後の1920年に戦時賠償として日本が取得しました.このとき格納庫とともに分解された状態で日本に搬送され,格納庫は霞ヶ浦に建てられましたが,機体は組み立てられませんでした.1929年に世界一周の飛行途中に日本に立ち寄ったGraf Zeppelin (LZ127)は,この格納庫があった霞ヶ浦に飛来しました.

ギヤボックスに刻印された上記の製造年月が正しければ,戦時中に飛行したときに搭載されていたものとは異なることになります.しかし,推進装置は換装されたか,日本への拠出の際に調達された可能性もあります.このギヤボックスを製造したZF社は1915年に飛行船の減速機の製造メーカとして設立され,今日でも世界で有数の減速機メーカとして,製品は自動車,船舶,航空機などにも数多く供給しています.

本学に搬入された来歴は不明ですが,以下のように推定できます.精密工学研究所の前身である精密機械研究所は1939年(昭和14年)に設立されました.その当事,帝国大学(すなわち東大)の教官が東工大に移籍した例が多く,精密機械研究所初代所長の故佐々木重雄名誉教授もその例に漏れません.佐々木氏は東大,東工大に在籍しながら海軍艦制本部にも関わっていました. また,本学卒業生で,精密工学研究所に奉職し,その所長も務めた故中田孝名誉教授(1908-2000)の著書「幻の蔵前」には,本学の内燃実験室にマイバッハのエンジンにギヤボックスが取り付けられたまま置かれていたのを見た,との記述があります.すなわち,飛行船のエンジンとギヤボックスは日本に到着後,適当な期間を経て東大へ,そして東工大の機械系の内燃機関,歯車関連教官の研究室に渡ったものと思われます.その時期は,故中田孝名誉教授が学生,あるいは助手になった頃と思われます.ちなみにこの飛行船のマイバッハ(Maybach)社製のエンジンは,現在静岡理工科大学静岡航空資料館に展示されています.

(文章:北條春夫東工大名誉教授) 

展示品概要

a) 製造者:ZF社(Zhanrad Fabrik Friedrichshafen)
「フリードリッヒスハーフェンの歯車製作所」の意,フリードリッヒスハーフェンは南ドイツボーデン湖沿いの都市の名

b) 製造番号No.200
刻印に基づく

c) 製造年月 1918年11月14 日と推定
刻印が14.11.18と打たれている

註)機体番号のLZは,ドイツ語のツェッペリン飛行船Luftschiff Zeppelinの頭文字.ちなみに有名なHindenburg号は,LZ129.

ツェッペリン

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